悲壮…黒木 60%ダウンでサイン
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わずか15分の交渉で、黒木は会見の席に座った。「納得するも何も…。この成績では物を言える状態でない」。今季5試合で0勝0敗1セーブ。覚悟はしていただけに、減額制限を超える60%ダウンにも黙って判を押すしかなかった。
98年に13勝で最多勝、00年にはシドニー五輪にも出場し、年俸は1億8000万円まではね上がった。しかし、01年に右肩を痛めてから転がり落ち、ついには全盛期の1割にも満たない額へ。「来年仕事をしなければ先の野球人生がない。毎年言っているけど重要な1年になる」。02~06年でわずか3勝。結果を出せなければ“即引退”に追い込まれる事情は黒木が一番理解していた。とはいえ大幅ダウンを通告した球団は黒木の復活を信じている。「本人も納得している。来季への意欲も今までと違うでしょう。ジョニーという花を、もう1度咲かせてほしい」と狭間球団代表補佐は奮起を促した。
この日は午前中から球場に姿を見せるとキャッチボールを開始。「今季プラスになったのは中継ぎをできたこと。中継ぎのタフさを感じたし、そのために1年耐えられる肩のスタミナをつくる」と故郷・宮崎へ帰省する年末・年始もトレーニングする方針だ。
会見を終えると、黒木は「面白いことを言えなくてすみません」と頭を下げた。男は黙って結果を残す。ジョニー節の封印は悲壮な決意の証明でもあった。
本当に泣きそうだ…。頑張れジョニー。