渡辺俊“ドリームボール”封印解く
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寒風吹きすさぶグラウンドで、渡辺俊がボールを握り替えた。親指と人さし指でつくった「OK」の形で包み込み、右腕をしならせる。「ずっと試してきたもの。モノにできれば使います」。シンカー、スライダー、カーブに加える4種類目の変化球はチェンジアップだった。
プロ1年目の01年。5月19日の近鉄戦で研究中のチェンジアップを投じたが、中村(現オリックス)に満塁本塁打を被弾。以来、封印を余儀なくされた。15勝を挙げた05年は日本一、初のアジア王者に輝いたが、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)からスタートした昨季は5勝どまり。小宮山から教えを仰ぎ、封印を解く決意を固めた。
左打者対策の一環だ。昨季は対右打者の被打率・214に対し、左打者に・290。90キロ前後のスローカーブも有効だったが「(左打者の内角に)入ってこないボールが欲しかった」という。球速は「遅くしておけば速くできる。打者が嫌なのは僕の強いボールではない」と超遅球を予告。さらに、アンダースローのチェンジアップは相手打者にとって未知の軌道となり、水原勇気のドリームボールのようなウイニングショットとなる可能性を秘める。
9日には自主トレのため鹿児島入りし、翌10日にはブルペンで魔球の感触を確かめる。「今までにないものが欲しい。優勝するためにやれることをやります」と決意。「より遅く」を意識しながらも、サブマリンは高みへと駆け上がる。
俊介の復活なくして優勝なし。頑張れ。