日めくりプロ野球10月
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オリックスのイチローが大リーグ、シアトル・マリナーズに入団し、7年保持してきたパ・リーグの首位打者を誰が獲得するか。01年、それにこたえたのはシーズン前は“伏兵”のロッテ・福浦和也一塁手。打率3割4分6厘で見事頂点に立った。
最終戦となる千葉マリンスタジアムでの日本ハム28回戦、福浦は4打数2安打。2位の小笠原道大一塁手も福浦の前で2安打を放ったが、3割3分9厘で全日程を終了。福浦は入団8年目で初タイトルを獲得した。
「驚いていてまだ実感がありません。眠れない日々が続き本当に疲れました」。06年まで6年連続3割をマークした、マリーンズの3番打者も当時はレギュラーだったわけではなく、巨人から移籍の石井浩郎内野手とのポジション争いに競り勝ってつかんだ栄冠だった。
千葉・習志野高時代は左腕の本格派投手。93年のドラフト7位でロッテに。投手としてより、打者としての才能を見出したのは、後に1軍監督となる当時の山本功児2軍打撃コーチ。入団早々、肩を壊した福浦にバットを渡してフリー打撃させると、サク越えを連発した。
97年に1軍に昇格。近藤昭仁監督は「将来必ずロッテを背負って立つ打者になる」と見込んで夏場以降、ルーキー同然の21歳の福浦を3番で起用し続けた。
左打者には逆方向となる左翼へ強いライナーを飛ばし、03年にはパ・リーグ歴代2位のシーズン50本の二塁打。左方向が半数以上の28本を数えた。
イチローもドラフト4位で投手として入団。すぐに外野手登録となったが、福浦同様転向組み。イチロー以降、06年までソフトバンクの松中信彦一塁手を除いて、元は捕手だった小笠原、和田一浩外野手(西武)がパの首位打者になっており、転向組みの活躍が目立つ。
その通り、ロッテを背負って立つバッターになったな。