藤田が巨人入り!ロッテ見返す
|
言葉の端々にプライドと執念がにじみ出ていた。藤田は「こういう形でロッテから離れたけど『来年見といてくれ。必ず復活する』というのはある」「なんで出したんや、と(ロッテに)言わしたい」など古巣への対抗意識を次々にのぞかせた。
ロッテから戦力外通告を受けたのが先月27日。来季の去就が注目されていた藤田の巨人入りが決まった。キレのあるスライダーと強気のピッチングを武器に長年、左のセットアッパーとして活躍。05年に日本一に輝いた際には薮田、小林雅とともにチームの必勝方程式「YFK」を形成。06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表として世界一にも貢献した。
今季は31試合に登板して防御率12・64。2軍落ちするなどの不振だったが、実績は申し分なく、ソフトバンク、ヤクルトなどが興味を示していた。巨人は林が左ひじを手術。育成選手から昇格したばかりの山口だけでシーズン終盤を乗り切るなど中継ぎ左腕が不足しており、重要な補強ポイントとなっていた。
獲得の決め手となったのは、編成調査室の木樽正明調査役の存在だった。木樽氏は藤田がロッテに入団した97年時のロッテのスカウト部長。「木樽君は入団1年目から熟知しているので、彼の気持ちを考えても獲るしかないと思った」(清武英利球団代表)と早い段階から藤田の実力を評価。選手会との取り決めで、戦力外通告を受けた選手との契約は7日の合同トライアウト後という紳士協定があるため、この日の夕方、さっそく球団事務所で交渉し、即契約となった。
背番号にも古巣への対抗心をにじませた。かつて同じ左投げの岡島(現Rソックス)がつけていた「37」に決まった。「(ロッテ時代の)12以外なら何番でもいいと思った。12番から離れたいという気持ちだった」と真新しいユニホームに袖を通して快投を誓った。14日からの第4クールで宮崎入りして秋季キャンプ中の原監督らナインと初顔合わせする予定だ。
巨人・原監督
「08年のスタートを切っている我々にとって、藤田投手との契約は最初の吉報です。彼には貴重な左腕として期待しています。プレッシャーのかかる場面で積み上げてきたマリーンズでの経験のすべてを、生まれ変わったセ・リーグのグラウンドにぶつけてほしいと思います」
◆藤田 宗一(ふじた・そういち)
1972年10月17日、京都・八幡市生まれ。35歳。島原中央高から西濃運輸を経て、97年ドラフト3位でロッテに入団。直球、スライダーを武器に中継ぎ左腕として活躍。06年にはWBC日本代表にも選ばれ、世界一に貢献した。175センチ、80キロ。左投左打。今季年俸は1億3000万円(推定)。
盛り上がってるけど、何で戦力外になったか調べてるの?