日めくりプロ野球11月
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東京から空路で約4時間、距離にして約2000キロも離れた石垣島へ、ロッテのボビー・バレンタイン監督は1人の高校生と会うため“お土産”持参で降り立った。
お目当ての高校生とは、八重山商工の最速151キロ右腕、大嶺祐太投手。意中の恋人と会うなり、ボビーは握手、そして抱擁。「大嶺ハ1番デス」とマリーンズの背番号1のユニホームを着た姿を携帯電話のカメラに収め、上機嫌だった。
9月の高校生ドラフトで相思相愛のソフトバンクを前に名乗りを上げ、抽選の末に“強奪”した。
ドラフト10日前にテレビの特番で見た大嶺にボビーがほれ込み方針を変えて指名へ。ドラフト当日、ボビーは関係者からもらった5円玉をポケットにしのばせ「ご縁がありますように」と日本流のおまじないまでして抽選に臨んだ。
「都会は怖い」などと、苦しい理由をつけて大嶺本人、後見役の八重山商工野球部の伊志嶺吉盛監督ら関係者も“婚約者”が突然変わったことに、当初は拒否反応をみせた。
対するロッテ側の矢継ぎ早の攻勢は見事だった。まずは高校生としては最高の契約金1億円、年俸1000万円(推定)を提示。大嶺が「こだわりのある番号」としている背番号1も用意した。2軍に寮での寝泊りまで一緒にするトレーニングコーチまで付け、育成プランも特別に作成されるという、前代未聞ともいえる好条件にもともとプロ志望の18歳の少年の気持ちは揺れ動いた。
ロッテ側は石垣島も味方に付けた。30年以上続けてきた鹿児島での春季キャンプを石垣島に移すことを島側に打診。経済効果が期待できるだけに島としては、願ったりかなったりの話。しかも地元が生んだ甲子園のヒーローが、プロ野球選手として凱旋する姿を見られるとあって、周囲は大嶺のロッテ入団を希望する方向に傾いていった。ボビーが島を訪れると、石垣市役所には「バレンタイン千葉ロッテ監督、ようこそ石垣島へ 大嶺祐太選手をよろしく!」との垂れ幕まで掲げられるほどの歓迎ぶりだった。
結局、大嶺は入団を内諾。ボビーは来島の際に背番号1のユニホームだけでなく、立花龍司コンディショニングコーチまで連れ、早速トレーニング法を伝授し、超が付くほどの英才教育を施すことを、関係者にアピールした。
これだけのことをされて大嶺自身はもう感謝感激。「(背番号は)高校時代も1番をつけていたのでうれしい。バレンタイン監督はテレビで見るより大きい人。自分の力がプロでどのくらい通用するか楽しみ。球界を代表する投手になりたい」と、指名された時に泣いたのとは大違いの笑顔だった。
大嶺の1年目は1軍で1試合登板。小野晋吾投手のけがで急きょ1軍昇格し、4月30日の西武8回戦(グッドウイル)に先発。当日はNHKが全国中継。石垣島にもその勇姿が届いた。
4回3分の0で7安打5失点。西武の主砲・カブレラに本塁打を浴びた。78球のうち60球はストレートで押す投球で4個の三振も奪った。
「どうだ、楽しめたか」「はい、楽しめました」。23歳差と親子ほど年の違う小宮山悟投手にマウンドを譲る際、笑顔を見せた大嶺。結果は出なかったが、里崎智也捕手は確かな手応えを感じていた。「ポームランは真ん中だったのに、カブレラは引っ張りきれなかった。直球だけで抑えられるのは球児(阪神・藤川)に匹敵する。受けていて面白かった」。イースタンでは14試合2勝7敗、防御率4.35。三振は72回3分の1で74個と投球回数を上回った。フレッシュオールスター戦もイ軍の先発投手として2回4Kと大物の片りんを見せた。
ロッテの背番号1の投手は、80年のドラフト1位、甲子園優勝投手の愛甲猛以来。愛甲は投手として0勝3敗の成績で打者に転向し、1142安打を放った。大嶺は背番号1の呪縛を解くことができるか。08年のロッテの春季キャンプは石垣島で行われる。
大嶺の初登板は見てて痺れた。