ロッテ清水ショック32歳の妻明美さん急死
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突然の悲報だった。ロッテのエース清水が、最愛の妻を32歳の若さで亡くした。17日に横浜市内の病院で心不全のため亡くなり、18日に通夜、19日に告別式が近親者だけでしめやかに営まれた。清水が喪主を務めた。
関係者によると明美夫人はここ数年、体調を崩し入退院を繰り返し、昨年末から入院生活を送っていた。清水をはじめ7歳の長男、6歳の長女ら親族のショックは大きく、自主トレどころか当面の間は表に出ることはないという。
清水は先発ローテーションの柱として、02年から5年連続で2ケタ勝利をマーク。昨年は選手会長も務め、成績だけでなく精神面でもチームを支える存在となっている。好きな言葉は「やるしかないねん」で、その言葉がプリントされたTシャツを選手全員が着用してウオーミングアップを行っていた。
明美夫人とは兵庫・西宮市立高須中の同級生で、プロ入り前年の98年10月に結婚。今年で10周年だった。99年12月のロッテとの仮契約交渉には夫婦そろって臨むほどむつまじかった。昨夏も、明美夫人が2人の子どもを連れて千葉マリンに観戦に訪れ、家族が見守る中、清水が好投したこともあった。ただ、チームメートにもほとんど私生活の話はせず、夫人が闘病中であることも一部の限られた人しか知らなかったという。
米国帰国中のバレンタイン監督には18日に訃報(ふほう)が伝えられた。バレンタイン監督も昨年末に父親が亡くなり、清水の気持ちは痛いほど分かっている。25日の来日後にスタッフ会議を行い、そこで清水の状況を把握してキャンプ帯同日程などを検討していくことになりそうだ。
清水は、今月10日にさいたま市内のロッテ浦和球場で始動した際に、新球クラッシュに挑戦することを明かしていた。「チェンジアップやスピリットの変形で、腕の振りはストレートと同じで握りをいろいろ試している段階。ボールをクラッシュする感覚なんです。イメージとしては速く落とすボール」と熱く語っていた。昨年は6勝10敗と負け越したため「今年は新人と同じようにはい上がる気持ちでやる」と、気丈な姿を見せていた。周囲は清水の深い悲しみを憂慮しているが、球団広報によると「本人はキャンプ最初から行くと話している」という。
あらゆるものに打ち勝て、直行。