ボビーとオシム。それぞれが率いる千葉ロッテとジェフ千葉の躍進ぶりは間違いなく、05年終盤の千葉の話題を独占した。一時は下位を低迷していたチームが、それぞれ米国、欧州出身のベテラン監督の指揮で、短期間で頂点に立った。その勢いに、地元・千葉もあやかりたい。06年はプロ野球、サッカーともに世界的な大会がある。新年は千葉が誇る両名将の言葉で始めよう。
◇いつもベストを。何事も楽しくなるから 千葉ロッテ・バレンタイン監督
「偉大なチームにするために何でも精いっぱいやる。球場のファンが楽しめるように実験する。テレビを見ているファンも特別な思いになるようにする。ファンは特別な存在だと思っている」
チームは05年、ファンを楽しませる仕掛けを次々と繰り出した。自らのアイデアも多い。
「大人になってからの35年間、野球一筋だ。何が選手とファンをいい気分にさせるかは分かっている。それを千葉で試した。グラウンドで選手と写真を撮る『写真デー』を設けた。子供のベースランニングもやった。試合前後の”舞踏会”も楽しんだ。選手とファンが一緒にカラオケをした。来季もやりたいことがある」
背番号26(ファン)と常に一緒だった。米国の自宅ではいつもコリーがそばにいるという。
「06年はイヌ年。みなさんもイヌを飼って楽しもう。日々成長したいと思っているから、いつもベストを尽くす。みなさんもそうしたらどうか。何事も楽しくなるから」
ボビー・バレンタイン 50年5月13日、米国コネチカット州生まれ。大リーグのメッツなどで活躍。95年に千葉ロッテをパ・リーグ2位に導く。00年、メッツを率いてワールドシリーズに出場。04年からロッテを再び指揮している。05年は日本シリーズ制覇、初代アジアチャンピオンに導いた。
◇健康と家族と仕事と。基礎の安定が大切 ジェフ千葉・オシム監督
「個人の抱負は別にない。私というより、全体として世界のバランスがとれたらいい。結構、不幸な出来事が多い。日本は生活水準が高く、その意味では幸運だ。世界には生まれてくること自体が不幸だということがまだまだある」
出身地・サラエボは84年の冬季五輪開催地。8年後、ボスニア内戦の戦禍に見舞われた。戦車などの包囲で孤立した都市に残った妻と再会できたのは2年半後だった。
「悲惨だった」「健康が第一で、家族が安全で、しっかり仕事を持つ。そういう基礎の部分が安定するのが大切だ」
06年6月、独W杯が開幕する。日本の対戦相手の一つであるクロアチアは旧ユーゴからの独立国。オシムは元・旧ユーゴ代表監督だった。
「難しい試合になるだろう。それで(予選通過条件の)グループ2位が決まるからだ。ブラジルもそんなに有利とは思わない。結局、自分たち次第だ」
イビチャ・オシム 41年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ生まれ。現役時代は仏などで活躍。旧ユーゴ代表監督として90年のW杯でベスト8に導く。92年の欧州選手権本大会は、ボスニア内戦で出られなかった。03年からジェフ千葉を指揮。05年にナビスコ杯優勝で初タイトルをもたらした。
信じて選手成長 ボビー
ファンには「06年も一緒に優勝しよう」と呼びかけた。
ボビー「プレッシャーはまったくない。それは弱いチームが感じるもの。優勝のカギはひとつではない。一番大事なのは、選手を信じて成長させることだ。彼らの才能をグラウンド上で毎日、花開かせることだ。優勝するため、何が必要かを理解させるように努力した」
千葉移転前の川崎球場(川崎市)時代、観客席は閑古鳥が鳴いていた。
「悪い歴史だ。選手たちが楽しくプレーできたはずがない。選手が楽しんでプレーし、十分に能力を発揮するための雰囲気作りが大事だ。私自身は現役時代、楽しい気分の時はいいプレーができた。誰かに言われた訳ではなく、自分で知った」
積極的なプレーでの失敗は絶対に責めないのがボビー流だ。
「選手の気持ちを盛り上げることが大事だ。選手には、ファンがプレー全体をほめている、ということを信じさせる。ファンには、その応援に選手がとても感謝していることを理解してもらうことだ」
過去見つめ修正 オシム
ジェフは05年、ナビスコ杯で初優勝。リーグも4位で最後まで優勝を争った。
オシム「自分で自分の仕事を評価するのはおかしい。周りに聞いた方がいい。ただ、もっとよく考えればいい結果が出せた試合がいくつもあった。もっといい結果が残せたかもしれないし、悪かったかもしれない。少し運がよかった。過去を見つめ、そこを修正しないと成長しない」
就任してからの3年間、地味なチームが力強く変身した。
「1年目から続けてきた結果にすぎない。選手が急にうまくなることはありえない。選手は生活の中で、もっとサッカーのことを考えるようになった。それで全体がよくなった」
目標はどこにあるのか。
「サッカーは生き物だ。日本も米国のように数字だけで計算している部分があるかもしれないが、パーセントやデータだけでは計れない。相手が100本シュートを打ち、うちは1本だけだったとする。でもその1本が入れば1対0で勝つ。サッカーはもっと美しいもので人間的な部分が大きい。人間は失敗を犯すが、数字にはミスはない」
称賛くれるファン重要 ボビー
「最も好きなのは千葉マリンスタジアム。千葉の砂浜と田舎。海岸も好きだ。ただ、ほとんどの時間は仕事している。私には自由な時間は必要ない。それでもレストランには行くし、千葉市動物公園にも行く。(立ち上がることで有名になったレッサーパンダの)風太も知っている。動物はみんな好きだ」
球場近くで自ら住む千葉・幕張ベイタウンは町ぐるみで応援。優勝パレードで米国風に紙吹雪が舞った。05年シーズンスタート時、自ら優勝を誓った場でもある。
「ファンは本当に重要だ。選手の求めているのはもちろん勝利だ。さらに自分がやった仕事について、周囲からすばらしい評価をされたいと選手は期待しているものだ。ファンは多くの称賛を選手に与えられるから、とても大切だ」
社会貢献活動を続けたプロ野球人に贈られるゴールデンスピリッツ賞も受賞。新潟中越地震などの復興支援慈善試合を提案。重い心臓病で米国で移植手術を受けた茂原の男児の募金にも協力した。
千葉には千葉の誇り オシム
「力のない街で、貧乏な人が家にこもっている。何かやろうとしても選択肢がない。千葉はそんな街ではない。野球チームやサッカーチーム、博物館もある。多くの選択肢の中で、人々は楽しみを求めている。そういう部分を生かしていけばいい。まちの政治も密接に絡んでいる」
つい東京に目が行きがちだ。
「千葉の人が(英国の人気サッカーチーム)マンチェスターユナイテッドのユニホームを着て、『マンチェスター、マンチェスター』と話していたらどうなる。千葉には千葉のチームがある。地元に誇りを持つという部分をうまく生かしていければいい」
シーズン中は、浦安市に住んだ。
「千葉の端。でも東京ディズニーランドの花火が見える。浦安以外はあまりでかけない。チームの前の社長と千葉市の天ぷら屋に行ったぐらい。日本はいろんな料理が食べられる。毎回ピザではもったいない。納豆以外はほとんど試した。納豆もいつかは食べるべきだろうが……」
練習や戦術に興味 オシム
「ユーゴの時代は、バスケットなどほかの競技の監督と交流があった。ほかのスポーツの監督同士でも、共通点や参考にできる部分がたくさんある。練習や戦術など何か見いだせる部分があるだろう。話をすることには興味がある」
英語は得意ではない。
「(英語のバレンタイン監督と話をするには)通訳が2人必要だ。彼と話したくないと言っている訳ではない。例えば野球場で大勢の観客が注目し、打者の一振りで試合が決まるとする。サッカーのPKと似ている。そんな状況でどうやって打者は力を発揮するのかなどを話してみたい」
偉大な仕事に祝福 ボビー
「オシム監督に会ったら、素晴らしい偉大な仕事に『おめでとう』と言いたい。ぜひ、千葉の人たちを感動させ続けてもらいたい」
互いに会ったことはない。しかし千葉で花開くプロスポーツの指導者として、相手のことは意識している。
「スポーツの首都になりつつある。千葉には有名なスポーツチームがいくつもある。さらに千葉に住んでいる人はすごく親しみやすい。その中に、野球とサッカーの偉大なチームがあり、それをわいわい応援できるファンがいる。私たちはチームと地域が一体化する好例になりたいと思う」
若者よ大人を学べ ボビー
選手同様に、地元若者の能力を開花させる策は。
「地域のリーダーになることを自覚して欲しい。大人になると、責任と敬意について学ばなければならない。身の回りの状況に的確な対応をとる責任。そして置かれている状況を理解し、他人の権利に敬意を払うようになってもらいたい」
力発揮できる街に オシム
千葉の将来を担う若者に向けてひと言。
「なぜ、若い人だけへのメッセージなのか。当然、街を発展させるためには若い力が必要だ。問題は若者が力を発揮できる場所があるかどうかだ。そんな場所がない、と若者がどんどん外に出ていくようにならないような街にするのが大事だ」
<ボビーマジック>
データと独特の勘による日替わりの打順が見事当たった。選手を「ファミリー」と呼び、とことん信用。積極的なプレーによる失敗は責めないのが流儀とされる。グラウンド内外の明るい発言はファンを楽しませる。
<オシム語録>
試合中の指示やコメント、試合後の記者会見で、機知に富んだ独特の言い回しを披露する。端的に物事の本質を突いていることが多く、話題を呼んでいる。チームの公式ホームページにも、言葉を集めたコーナーがある。
ボビーもオシムも味わい深い事言うよね。